「二河白道(にがびゃくどう)」の「二河(にが)」、
すなわち水の河と火の河は何をあらわすのでしょうか。
「水の河」は私たちの「貪りの煩悩」をあらわし、
「火の河」は「怒りの煩悩」をあらわします。
二河の間を通る、幅わずか四五寸の
「白道(びゃくどう)」は、貪りや怒りの
煩悩の中から、「浄土への往生を求める清い心」が
生まれることにたとえられています。
波が常に道を濡らすのは、愛欲の心が常に起こり、
善い心を汚すことをあらわします。
また、火の河が常に道を焼くというのは、
怒りの心が仏法の功徳を
焼き払ってしまうことにたとえられます。
東の岸から旅人が白道を歩むことを
勧める声は、「お釈迦さまの教え」をあらわします。
お釈迦さまはすでに入滅されて、
お姿を見ることは叶いませんが、
教えが現代にもきちんと伝わっていますので、
聞くことができます。
それをあらわすのです。