2025年1月14日火曜日

 1月後半のことば

「凡夫ゆえ 信仰にゆらぎはあるもの」


 もう10年になります。尊敬する先輩僧侶が極楽浄土へ往生されました。細菌に体を蝕まれ、わずか43日の闘病後の往生でした。

 愛嬌のある語り口と風貌に似合わず、教えに対する姿勢はとことん厳しい方でした。しかし打算のない人柄は人を引きつけて止みません。お悔やみに駆けつけたお檀家さんが口々に「私の一番の味方でした」とおっしゃり、私もそう思い、多くの仲間や後輩達が感じていました。

 あまりに突然の訃報に多くの人々は混乱しつつも、先輩からいただいた言葉を反芻し、阿弥陀さまと人を繋げることに一生を捧げた姿勢に思いを馳せたのでした。

 発病の2週間前に、先輩がある勉強会の司会をされた音源があります。

 「阿弥陀さまが見守ってくれたはる!と思ってるんですけどね、時々心が揺れるんですよ。こんなことして何になるんやろか?念仏してる時間あったら、もうちょっと嫁さんを大事にしてやった方がええんと違うやろか?と迷う自分がおるんです。でもね、例えば切れかけた蛍光灯は点いたり消えたりするけど、切れてないでしょ?それと同じで信仰も点いたり消えたりしてしまうんですよ。そやけど、そんな弱い私を見捨てへんのが阿弥陀さまなんですよね?!」先輩の闘病中に車を運転しながらこの言葉を聞き、涙が溢れて前が見えなくなってしまいました。

 無常の世とは言いながら、先輩ご自身がそのような最期を望んだはずはありません。もっとしたいことも言いたいこともたくさんあったに違いない。しかし今ご自分自身が生死を彷徨う中、仏さまのことをつい忘れてしまう、ゆらいで止まない弱い信心の者さえも見捨てない阿弥陀さまをどれほど頼もしく拝まれたことでしょう。

 たとえ私の方が忘れても、阿弥陀さまは私を忘れない。まるで親が一人っ子のことを思うように、心配して見つめ続けてくださっています。私たちが嬉しい時も悲しい時も、楽しい時も辛い時も、見守り続けてくださっている。「我が名を呼べよ。南無阿弥陀仏と称えよ。必ず救うぞ」という誓いを成就され、呼びかけてくださっています。そして念仏を称える者を一人たりとも漏らすことなく極楽浄土へ救い取ってくださるのです。

3月前半のことば

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