2025年5月30日金曜日

6月前半のことば

 6月前半のことば

「死は前よりしも来たたらず 

     かねて後ろに迫れり」 吉田兼好


 この『徒然草』の一節は、死の本質を静かに、しかし鋭く突いていると思いませんか。人は皆、死というものが自分に訪れることを知っています。にもかかわらず、それが「いつ」「どのように」やって来るかはわからぬまま、まるで明日も同じように日が昇り、何ごともなく時が過ぎると信じて生きてしまうものです。

 しかし兼好法師は、死は前方から姿を見せて近づいてくるのではない、むしろ、すでに背後にいて、そっと、確実に近づいているのだと語ります。私たちが気づかぬふりをしても、それは変わらず私たちの背中にぴたりと張りついているのです。だからこそ、今日という一日を疎かにしてはならないのです。

 仏教では、「無常」を意識することを教えられます。いのちは儚く、永遠ではありません。「明日ありと思う心」が、私たちの現在を曇らせ、今このときの輝きを見失わせるのです。 死を遠ざけるのではなく、その存在を背中に感じながら、むしろそれを力として、今日を丁寧に、誠実に生きる。兼好法師のことばは、死を嘆くものではなく、生の尊さを教えてくれる、貴い響きを持っています。


9月後半のことば

 9月後半のことば 「多様性 仏の目には 皆凡夫」   近ごろ「多様性」という言葉を耳にしない日はありません。会議でも学校でも、街頭のポスターにすら踊っています。確かに、人は千人いれば千人、百人いれば百人、異なる価値観や性格を持っている。それは事実です。しかし、だからといってその...