2025年6月14日土曜日

6月後半のことば

 6月後半のことば

「極楽を求める教え 世間では非常識な教え」


 世間の常識というものは、えてして移ろいやすいものです。健康であればよい、若ければなおよい、人間関係が円満ならすべてうまくいく、死んだらおしまい…そうした価値観が、まるで疑いようのない真理のように語られます。しかしながら、それらはどれも手のひらにすくった水のように、気がつけば指の間からこぼれ落ちているのです。「無常」とは、まさにこの現実のことを指すのでしょう。

 八百五十年前、法然上人は「南無阿弥陀仏」と称える念仏の道を説かれました。命尽きた後に阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを願うという、現代の感覚からすれば非現実的とも思える教えです。 しかしこの念仏は、世間のしがらみから逃げるのではなく、そこにとどまりながらもなお、救いを託すという態度に支えられています。

 極楽の存在など信じられない、と笑う人もいるでしょう。けれど、健康も若さも、親しい人も、いつかは去っていくものです。そのとき、何を心の支えにすればよいのでしょうか。私はむしろ、この「非常識」に心を動かされるのです。

 常識という名の風が吹き抜けたあとに、時に、本当に大切なものが残されていることもあるのです。

6月後半のことば「私の物差し 目盛は都合で変化する」

6月後半のことば 「私の物差し 目盛は都合で変化する」  私たちは、自分の基準こそが「普通」だと思って毎日を過ごしています。しかし、立場が一つ変われば、ものの見方は驚くほど変わってしまうものです。  たとえば、交通の場面を思い浮かべてみてください。車を運転している時は、道をゆっく...