浄土三部経の二番目、
『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』には、
お釈迦さまがおられた頃、
マガダ国という国の王舎城(おうしゃじょう)という都市で
実際に起こった悲劇が取り上げられています。
當麻寺山内「奥院」より出版の
「當麻曼荼羅(たいままんだら)」絵説き本
マガダ国の王様はビンバシャラ王という王様で、
お妃様を韋提希(いだいけ)さまといいました。
二人の一人息子を阿闍世(あじゃせ)といいました。
阿闍世太子(あじゃせたいし)は、
悪友の提婆達多(だいばだった)にそそのかされて、
父親であるビンバシャラ王を幽閉してしまいます。
ビンバシャラ王の妃、
阿闍世太子(あじゃせたいし)のお母さんである
韋提希夫人(いだけぶにん)は、
ビンバシャラ王が飢えないように、
体に蜜を塗って、冠の下に葡萄ジュースを入れて、
毎日密かに牢屋へ通い、
ビンバシャラ王に与えました。
阿闍世太子(あじゃせたいし)は、いつまで経っても
ビンバシャラ王が飢え死にしないことを
不審に思い、調べます。
そうすると、どうやら母親の
韋提希夫人(いだいけぶにん)が毎日牢屋へ
通っているということを聞きます。
怒り狂った阿闍世太子(あじゃせたいし)は、
韋提希夫人(いだいけぶにん)までも
捕まえて殺してしまおうとします。
その時に、聡明な大臣二人、
月光(がっこう)とギバが
阿闍世太子(あじゃせたいし)を諫(いさ)めます。
今まで歴史上には、王である父親を殺した
という事件は何度もあった。
しかし母親までも殺したということは
聞いたことがない。
もし阿闍世太子(あじゃせたいし)が
韋提希夫人(いだいけぶにん)を殺めたとしたら、
王族として恥ずべきことで、
世間も許さないであろうと言うのです。
さすがの阿闍世太子(あじゃせたいし)も怯んで、
韋提希夫人(いだいけぶにん)を
殺すことを断念しました。
しかしそのまま放っておくと
またビンバシャラ王の元へ通うであろうと、
牢屋へ閉じこめてしまいます。