⑤人に生まれることは難しい
「お釈迦さまのご生涯」の項で、
お釈迦様の幼少期のお話しをいたしました。
お釈迦様がお生まれになったとき、
「生まれてすぐに七歩歩まれた」という
お話が伝わっています。
これは正に仏教が「六道を出るみ教え」
であることを表しています。
今私たちは輪廻を繰り返し、何とか
三悪道から脱出して人間に生まれてきました。
これは決して当たり前のことではありません。
生物学的にも1億から4億の精子が
たった一つの卵子と結びついて
生を受けたことを思うと、
こうやって生まれてきたことは
とても不思議なことです。
また、自分の両親がどのようにして
出会ったかを考え、またその誕生を考える。
先祖にまで心を向けると、
決して「たまたま」という言葉だけでは片付けられない、
今生まれてきたことの不思議さを思わずにはいられません。
ただ、だからといって、それを感謝しろと言われても、
できない人もいます。
生まれてきた環境や育つ環境が過酷を極めている、という人も
おられるかもしれません。
「この世になんてうまれたくなかった。誰が産んでくれと言った?」と
親を恨む人もおられることでしょう。
生物学的に、社会学的にいくら不思議だと言われても、
それを有り難いと思うかどうかは本人次第です。
仏教で説く輪廻の考え方は、生物学的な遺伝や社会的な関わりに留まりません。
輪廻しずっと経巡り続ける中で、
仏典に説かれる「人として生を受ける不思議さ」
についての譬喩をご紹介しましょう。
天から糸を垂らします。
その糸は風に流されながらゆっくりと海面にたどり着きます。
糸は海水を含んで徐々に沈んでいきます。
沈む間に波や潮に流されることでしょう。
しかしゆっくりゆっくりと沈んでいきます。
海底には一本の針が横たわっています。
沈んでいく糸が海底にたどり着き、
海底に横たわる針の穴を通ることがあるでしょうか。
まずあり得ませんね。
それほどに「人の身を受けることは難しい」というのです。
そのたまたま人間に生まれてきた時に、
仏教とご縁を結び、お念仏との
ご縁ができたならばそれはとても不思議なことです。
『ブッダがせんせい』
宮下真