2020年9月19日土曜日

浄土宗のおつとめ㉕(摂益文〈しょうやくもん〉)その四

大阪にある浄土宗の宗門校、「上宮高校」の校歌をご存じでしょうか?

 

かつて甲子園の高校野球で何度となく全国に流れました。

 

上宮高校の校歌は、「月かげ」と名付けられる

 

浄土宗の「宗歌」でもあります。

 

月かげの いたらぬ里は なけれども

 

ながむる人の 心にぞ澄む

 

このお歌は法然上人の御作で、

 

摂益文(しょうやくもん)」の心を歌ったものだと

 

いわれています。

 

月の光がとどかない里はないけれど、

 

その光は、眺める人の心にこそ澄み渡るのです

 

という意味になります。

 

こんな情景を思い浮かべてみましょう。

 

駅から自宅へとぼとぼと歩いています。

 

日はどっぷりと暮れ、疲れが堪えます。

 

信号待ちで立ち止まったとき、ふと顔を上げてみると、

 

綺麗なお月様が辺りを、私を照らしてくれています。

 

「久しぶりにお月さんを見たなあ」と思いますが、

 

お月さまは決して「久しぶりに」存在するのではありません。

 

お月さまがせっかく照らしてくれていても、

 

家や会社の中にいたら、雲に隠れていたら、

 

その存在を忘れているでしょう。

 

あるいは下を向いて歩いていたら、

 

気づかないことでしょう。

 

だけど、顔を上げてお月さまを見上げた者には

 

その光が澄み渡っていくでしょう。

 

「お月さまの光」は「阿弥陀さまの救いの光」です。

 

阿弥陀さまの救いの光は

 

「すべての者を救ってやろう」と、

 

あらゆる世界を照らしています。

 

しかし、その光に気づかずに過ごす人も

 

多いでしょう。

 

あるいは拒否する人もいるでしょう。

 

お月さまの光は「ただ顔を上げるだけ」で

 

拝むことができます。

 

阿弥陀さまの救いは「ただ念仏を称えるだけ」で

 

受けることができるのです。

 

ちなみに阿弥陀さまは、よく「お月さま」に

 

譬えられます。

 

「お月さま」の光は、お日さまと比べて

 

柔らかい光だからでしょう。

 

阿弥陀さまは、そっぽ向いている者を力ずくで

 

こちらに向かせるようなことはなさいません。

 

しかし、「救われたい」と思う者を

 

柔らかく包み込んでくださるのです。

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