2021年4月15日木曜日

真身観文(しんじんがんもん)⑯

 (本文)


この観を作(な)す者は、身(み)を他世(たせ)に捨てて、


諸仏の前に生じて無生忍(むしょうにん)を得(う)。


この故に智者まさに心を繋(か)けて、


諦(あきら)かに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)を


観ずべし。




(現代語訳)


この観を行う者は、身体を我々が住む娑婆世界に捨てて、


諸仏のみもとに生まれて、「無生忍(むしょうにん)」の


境地に至ることができます。


ですから智者は心を集中させて、はっきりと


阿弥陀仏を目の当たりに観なさい。




(解説)


仏さまのお身体や御心を観た人は、


命尽きた後、身体を娑婆世界に捨て置いて、


仏さまの元で覚りに至ることができます。


繰り返し申しておりますように、


このような観法(瞑想修行によって仏や浄土を


目の当たりに観る)ことができなくても、


私たちには「南無阿弥陀仏」と


称えるお念仏があります。


阿弥陀さまが私たちのために、


「難しい修行ができずとも、


私の名前を呼ぶことならできるであろう。


我が名を呼ぶ者を必ず救い取るぞ!」と


本願にお誓いくださっているのです。


これこそが阿弥陀仏の「無縁の大慈悲」なのです。


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