(本文)
この観を作(な)す者は、身(み)を他世(たせ)に捨てて、
諸仏の前に生じて無生忍(むしょうにん)を得(う)。
この故に智者まさに心を繋(か)けて、
諦(あきら)かに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)を
観ずべし。
(現代語訳)
この観を行う者は、身体を我々が住む娑婆世界に捨てて、
諸仏のみもとに生まれて、「無生忍(むしょうにん)」の
境地に至ることができます。
ですから智者は心を集中させて、はっきりと
阿弥陀仏を目の当たりに観なさい。
(解説)
仏さまのお身体や御心を観た人は、
命尽きた後、身体を娑婆世界に捨て置いて、
仏さまの元で覚りに至ることができます。
繰り返し申しておりますように、
このような観法(瞑想修行によって仏や浄土を
目の当たりに観る)ことができなくても、
私たちには「南無阿弥陀仏」と
称えるお念仏があります。
阿弥陀さまが私たちのために、
「難しい修行ができずとも、
私の名前を呼ぶことならできるであろう。
我が名を呼ぶ者を必ず救い取るぞ!」と
本願にお誓いくださっているのです。
これこそが阿弥陀仏の「無縁の大慈悲」なのです。