遠い地での災害や、外国の戦争のニュースを観ると
「気の毒に」と思います。
有名人の死を知って、「あの人も亡くなったのだな」と
寂しく思います。
その災害が起こった遠い地に、
戦争が起こっている外国に友人や親戚がいる、
となると突然身近に感じます。
詳しくニュースを調べ、共通の知人に連絡をとり、
そわそわとします。
もし、その地にいる人が「自分の子」であったら、
そわそわするどころではないでしょう。
いてもたってもいられなくなります。
こどもの安否を思うと胸が締め付けられることでしょう。
「自分の子」「自分の家族」という
「自分の○○」のことになると、
私たちは理性を失います。
「自分の子」に災害が降りかかったら
「代わってやりたい!」と思うかもしれません。
自分の子が苦しんでいたら、
「自分が同じ目に遭う方がマシだ」と思うかもしれません。
「自分の」という執着(しゅうじゃく)が
強ければ強いほど、その苦しみは強くなります。
『法然の衝撃』
阿満利麿