「信機信法(しんきしんぽう)」には順序があります。
「信機(しんき)」が先で、
「信法(しんぽう)」が後でなくてはならない、
と法然上人はおっしゃいます。
信法(しんぽう)が先になると、
「阿弥陀さまはすべての人を救う」ということは
信じても、「自分が救いの対象である」ことを
信じることができない人が出てくる、というのです。
「私なんか救われっこない」と思ってしまう人が
世の中には一定数おられるようです。
「信機(しんき)」において、
まず「救われがたい私」を認め、
その上で「その私が阿弥陀仏の力で必ず救われる」
という「信法(しんぽう)」がくると、
そのような人たちも、
「自分も救われるのだ」と阿弥陀さまに
身を委ねることができるのです。
「信機信法(しんきしんぽう)」とは、
「自分の力では救われがたい私が、
阿弥陀さまの力によって
必ず救われることを深く信じる」
ことです。
これが「三心(さんじん)」の二つ目、
「深心(じんしん)」です。