2021年3月25日木曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ③ 下品下生(げほんげしょう)

(本文)


観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)に


言(のたま)うがごとし。


「人有りて五逆(ごぎゃく)・十悪(じゅうあく)を


造り諸(もろもろ)の不善を具せらん。


悪道に堕して多劫(たこう)を


経歴(きょうりゃく)して無量の苦を受くべし。


命終(みょうじゅう)の時に臨みて、


善知識の教えに遇いて、


南無無量寿仏と称(しょう)せん。


是(か)くのごとく心(しん)を至して


声をして絶えざらしめて、


十念を具足して便(すなわ)ち安楽浄土に


往生することを得(う)。


即ち大乗正定(しょうじょう)の


聚(じゅ)に入(い)りて、


畢竟(ひっきょう)じて退(たい)せず。


三塗(さんず)の諸(もろもろ)の


苦と永く隔(へだ)つ」と。




(現代語訳)


『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』には


「人が五逆(ごぎゃく)・十悪(じゅうあく)を行い、


さまざまの不善を身に具えれば、


その報いとして悪道に堕ちて長い間


とてつもない苦しみを受けねばならない。


ところがその人の臨終の時に、


善知識の教えに遇い、


「南無阿弥陀仏と称えよ、と教わって、


心を極楽に向けて声を絶やさず十念を称えれば、


極楽浄土へ往生することができ、


菩薩の仲間に入ってそこから落ちることがない。


そしてその人は永久に悪道の苦しみから


離れるのである」と記されています。






『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の


「下品下生(げほんげしょう)」の項に出てくる


大悪人について説かれています。


「下品下生(げほんげしょう)」について、


詳しくは別に項を設けて記事を上げていますので、


そちらをご覧ください。



下品下生(げほんげしょう)

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%B8%8B%E5%93%81%E4%B8%8B%E7%94%9F%EF%BC%88%E3%81%92%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%92%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89




あらましはこういう話です。


「下品下生(げほんげしょう)」に登場する大悪人は、


人を殺し盗みをし、親まで殺してしまうような人です。


その大悪人は今まで仏教のみ教えと


出会う縁がありませんでした。


もしかしたら誰かが教えてくれたことも


あったのかは分かりませんが、


それに耳を貸そうともしなかったのです。


その大悪人がいよいよ最後臨終を迎えます。

                                      

大悪人の臨終の枕辺に、


念仏のみ教えを信じている人がやってきます。


古くからの知り合いだったのに、


その人の言葉に耳を傾けなかったのかも知れません。


でもいよいよ臨終にあたり、


「このまま俺は地獄に堕ちるしかないのか!」と


もがき苦しんでいる時に、


「地獄には往きたくなかろう。


極楽へ往きたいとは思わないか?


極楽へ往きたいならば、阿弥陀さまにすがって


南無阿弥陀仏と称えよ」と教えられるのです。


「この俺が極楽へ往けるのか?


親まで殺したんだぞ」


「いや、阿弥陀さまのお力を信じなさい。


間違いないから」と諭されます。


「本当か?俺が救われるんだな!」


と喜んで「南無阿弥陀仏」と


大悪人は称え始めます。


その念仏が十遍に達したところで


その大悪人は事切れるのです。


大悪人は臨終間際にお念仏を勧められて、


自らお念仏を称えた結果、極楽へ往生しました、


と「下品下生(げほんげしょう)」に説かれています。


さて、これをどのように理解したらよいでしょうか。


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