2021年3月11日木曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑰ 「どんな悪人でも救われる」とは? その五

煩悩に誘惑されながら、フラフラと迷いながらも


お念仏を称えてきて、不安の中臨終を迎えます。


そのいざ臨終のその時には間違いなく


阿弥陀さまがたくさんの菩薩を引き連れて


お迎えくださいます。


「来迎(らいこう)」です。



来迎

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来迎(らいこう)をいただいて、


いよいよ「阿弥陀さまと会える」のです。


直接、目の当たりにお会いできるのです。


そうなれば「阿弥陀さまは本当にいるの?」とか


「極楽なんて本当にあるの?」とか


「本当にお念仏を称えるだけで極楽に往けるの?」などと


疑う余地はありません。


「確たる信」を得ることができるでしょう。


私たちはまだ臨終を迎えていません。


その臨終の時まで念仏の縁を絶ってはならないのです。


ずっとお念仏を続け、「確たる信」を得るべく


信仰を育てていかなくてはなりません。


「二河白道(にがびゃくどう)」の項でもお伝えしたように、


私たちの信仰は甚だ心許ないものです。



二河白道

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その僅かな信仰を絶やすことなく育て続けていきましょう。


そのためにはお念仏をずっと続けていく以外にはないのです。


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