2021年5月4日火曜日

仏説阿弥陀経㊲

 (本文)


釈迦牟尼仏、


能(よ)く甚難希有(じんなんけう)の事をなして、


能(よ)く娑婆(しゃば)国土、


五濁悪世(ごじょくあくせ)、


劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・


煩悩濁(ぼんのうじょく)・


衆生濁(しゅじょうじょく)・


命濁(みょうじょく)の中において、


阿耨多羅(あのくたら)


三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)を得て、


諸もろの衆生のために、


この一切世間難信(なんしん)の法を説くと。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「釈迦牟尼仏は、非常に難しいことを成し遂げられた。


そしてこの現実の世界の


濁りきった悪い世の、


時代が乱れ、思想が乱れ、煩悩が盛んになり、


人々の資質が低下して仏教の教えを理解できず、


人の寿命が短くなる、というひどい状態の中、


この上なく正しい覚りを得て、


多くの人々のために、


世間が信じがたい教えを説かれるのだ、と」






(解説)


「念仏による極楽往生を疑う人」にも


二種類あるといいます。


一方は「無智の者」で、もう一方は「有智の者」です。


「無智の者」はこの世での快楽を追い求め、


「元気な間に美味しいものを食べ、


仲の良い人と旅行に行くことが幸せ。


死んだらしまい」と言います。


そのような価値観の人は、老い衰え、病になると


「不幸せ」になるのです。


誰だって生き続けることや元気であり続けることは


できません。


でも極楽往生を願う者は、命が尽きた後に


「あらゆる苦しみ・悩み・痛みなく、


楽だけを受ける世界」があることを知っています。


だから念仏を称えてしっかりと最後まで


生き切ることができるのです。


また、「有智の者」は「仏に頼らず自分の力で」と


自力に執着します。


自分の力で苦しみから逃れ出ることができれば


それでいいのですが、仏はそれが極めて難しいことを


ご存じですから、お念仏を勧めてくださるのです。


「信じて称えるだけ」という極めて易しい教えですが、


その「信じる」ことは意外に難しいのです。


ですから繰り返し繰り返し「信ぜよ」と


お勧めくださるのです。


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