2023年4月30日日曜日

5月前半のことば

 「戒は仏法の大地なり」


仏教徒としてのよき習慣を戒(かい) といいます。

 私たちには「歯を磨く」「挨拶をする」など様々な習慣があります。

 もし仮に「ウソをつく」ことを習慣にしている人がいれば、その人は周りから信用されなくなり、決して幸せにはなれないでしょう。

 「目が合った人に暴力を振るう」ことを習慣にしている人の周りには、人は寄ってこず、その人は孤立してしまうことでしょう。

  私たちは「幸せになりたい」と思い、自分の欲することを行っているのに、なぜかうまくいかないことが多いのではないでしょうか?

 「周りの人は幸せそうなのに、なぜ私だけ・・・」と寂しい思いをすることもあるかもしれません。もしかしたら、その原因は、知らず知らずに行っている私自身の行い、習慣にあるのかもしれません。

  お釈迦さまの時代から、仏教徒は必ず仏教徒としての良き習慣である「戒」を授 けられて、戒で説かれる内容と、自分の行いを照らし合わせて生活してきました。


2023年4月15日土曜日

4月後半のことば

「人生はあせらず怠けずおこたらず」


このことばとは反対に、焦り、怠け、怠っている毎日かもしれません。

「焦らないで」と言われて落ち着くことができれば、世話はありません。

そんな時はゆっくり鼻から息を吸い、吸った倍の時間をかけてゆっくりと口から息を吐きます。

普段無意識に呼吸をしていますが、そこに意識をおいて、「今、鼻から息を吸っている」「今、口から息を吐いている」と心の中で実況中継してみてください。


今の行いが私の未来、みなさんの未来をを変えてゆきます。

一歩一歩、踏みしめて、あせらず怠けずおこたらずにまいりましょう!

2023年4月1日土曜日

4月前半のことば

 4月前半のことば

「誰もかも特急列車に乗りたがり」


わたしたちは常に新しいもの、快適なものを追い求めています。

それは人間が持つ本能的な欲求だといえます。

しかし、一方で本当に必要なものを見失ってはいないでしょうか。

自転車で走ると、自動車に乗っていては気づかないお店を見つけられるかもしれません。

ゆっくり歩くと自転車に乗っていては気づかない、草花を見つけることができるかもしれません。

家族とゆっくり過ごす時間も大切でしょう。

時にはゆっくり読書をする時間をとってもいいでしょう。

何もせずにぼーっと過ごす日があってもいいでしょう。

「何をそんなに急いでいるの?」と自分に問いかけてみてはいかがでしょうか。



2021年6月10日木曜日

仏説阿弥陀経①

 釈尊が説かれた多くの経典の中で、


浄土宗は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の


三経典を所依(しょえ)の経典として大切にします。


この三経典を法然上人は


『浄土三部経』と名づけられました。


これらの概要は先にこのブログ内で上げています。



「浄土宗の教え第1部 浄土三部経」

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%20%E7%AC%AC%EF%BC%91%E9%83%A8%20%E6%B5%84%E5%9C%9F%E4%B8%89%E9%83%A8%E7%B5%8C




私たち浄土宗の者にとっては、


浄土三部経の『無量寿経』の中の「四誓偈(しせいげ)」、


『観無量寿経』の中の「真身観文(しんじんがんもん)」、


そして『阿弥陀経』は特になじみ深いお経だといえるでしょう。


法輪寺のお経本には、上記のお経に加えて


『観無量寿経』の中の「下品下生」以降も収めています。


各お経につきましては、すでに上げましたので、


ご参照ください。



「四誓偈」

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E5%9B%9B%E8%AA%93%E5%81%88%EF%BC%88%E3%81%97%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%92%EF%BC%89




「真身観文」

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E7%9C%9F%E8%BA%AB%E8%A6%B3%E6%96%87%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%93%E3%82%82%E3%82%93%EF%BC%89



「下品下生」

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%B8%8B%E5%93%81%E4%B8%8B%E7%94%9F%EF%BC%88%E3%81%92%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%92%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89


2021年6月9日水曜日

仏説阿弥陀経②

 『阿弥陀経』には極楽浄土の様子がありありと


描かれています。


ですから、『阿弥陀経』を読むと、


「先に極楽へ往かれたあの人はこんな世界に


おられるのだなあ」と思いを馳せることができます。


『阿弥陀経』の後半は、あらゆるところにおられる


仏さまが、こぞって阿弥陀さまを賞賛し、


念仏者を護ってくださると説かれています。


『阿弥陀経』は、釈尊が「極楽はこのような世界で、


そこに阿弥陀仏という仏がおられ、極楽の人々は


このようなことをされている」


と説かれる形式をとっています。


つまり釈尊が極楽や阿弥陀仏を


紹介してくださっているのです。


お経は通常、お弟子のどなたかが


釈尊に教えを請い、釈尊が語り始める


という形になっているものが多いのですが、


『阿弥陀経』は、誰に請われるわけでもなく、


釈尊が多くのお弟子の前で自ら語り始める、


という非常に珍しい形のお経です。


この形式を「無問自説(むもんじせつ)」といいます。


釈尊自ら「この法を伝えたい!」と思われて、


お弟子の中の長老である舎利弗(しゃりほつ)さまを


名指し、「舎利弗よ」と繰り返し語りかけられるのです。


それでは次回から本文をご紹介してまいります。


2021年6月8日火曜日

仏説阿弥陀経③

 (本文)


かくの如きを我聞きき。






(現代語訳)


このようなことを、私阿難(あなん)は聞きました。






(解説)


釈尊の時代のインドでは、


教えを文字にすることなく、


口から口へと伝えていました。


ですから釈尊の著書はありません。


釈尊が涅槃(ねはん)に入られた後、


お弟子が集まって、教えをまとめました。


お弟子の中で、釈尊の側で身の回りのお世話を


長年されてきた、阿難尊者(あなんそんじゃ)は


「教えを最も多く聞いてきた人」として


「多聞第一(たもんだいいち)」と認められていました。


そこで阿難尊者が「私はこう聞きました」と


教えを言葉にし、皆がそれを認めたならば、


その言葉を復唱して、釈尊の教えを確認しました。


ですからお経の冒頭には


阿難尊者が「私はこのように聞きました」


という意味の「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉や


「釈尊は阿難にこうおっしゃいました」


「仏告阿難(ぶつごうあなん)」という言葉が多いのです。


2021年6月7日月曜日

仏説阿弥陀経④

 (本文)


一時、仏、舎衛国(しゃえいこく)の


祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に


在(ましま)して、大比丘衆(だいびくしゅ)


千二百五十人と倶(とも)なりき。


皆是れ大阿羅漢(だいあらかん)なり。


衆(しゅう)に知識せられたり。






(現代語訳)


ある時釈尊は、舎衛国(しゃえいこく)の


祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられて、


千二百五十人もの修行僧と一緒に過ごしておられた。


彼らはみんな偉大な阿羅漢(あらかん)の


境地に達しておられ、


人々に広く知られている。


※阿羅漢(あらかん)

 聖者が到達しうる最高位。






(解説)


釈尊ご在世の当時、インドでは舎衛国という


大都市がありました。


そこにスダッタという長者がいて、


仏教教団に土地を寄進しました。


その場所を「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」


といい、略して「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」


と呼ばれています。


『阿弥陀経』は釈尊が祇園精舎において、


千二百五十人ものお弟子の前で説法された


内容が説き示されています。


千二百五十人のお弟子は、


初学者ではなく、「阿羅漢(あらかん)」という


覚りの境地に達した方々ばかりであったというのです。


9月後半のことば

 9月後半のことば 「多様性 仏の目には 皆凡夫」   近ごろ「多様性」という言葉を耳にしない日はありません。会議でも学校でも、街頭のポスターにすら踊っています。確かに、人は千人いれば千人、百人いれば百人、異なる価値観や性格を持っている。それは事実です。しかし、だからといってその...