(本文)
舎利弗(しゃりほつ)、
衆生(しゅじょう)聞かん者は、
まさに発願(ほつがん)して、
かの国に生ぜんと願ずべし。
所以(ゆえん)は何(いか)ん。
かくの如きの諸もろの
上善人(じょうぜんにん)と倶(とも)に
一処(いっしょ)に会することを得(う)ればなり。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
舎利弗(しゃりほつ)よ、
これらのことを聞いた人々は
極楽に生まれたいと願うべきである。
なぜなら、このような善い人たちと、
一緒に同じ場所にて会うことができるからである。
(解説)
極楽は死んだ後に、嫌々往く所ではありません。
「本当に素晴らしいところだから、
極楽を目指せ」と釈尊がお勧めくださっているのです。
極楽へ往くためには、「極楽へ往きたいと願い、
南無阿弥陀仏と称える」のみです。
そのように念仏を称える人が極楽へ
往きそびれることはありません。
一人も漏れることなく、100%往生は叶います。
お念仏を称えることなしに亡くなった人には
信仰を持つ者が、その方の極楽往生を願い、
「阿弥陀さま、どうかこの方をお救いください」と
念仏を称えましょう。
もしあなたが先に極楽浄土へ往き、
この世に残してきた人の先行きが心配なら、
極楽から導いてあげればよいのです。
極楽へ往けば、この世では知り合うこともなかった
素晴らしい方と出会うことができます。
また、この世で縁があった方ともお互いが
お念仏で導き合い、極楽浄土で再会することもできます。
このように「極楽」という「定まった場所」で
逢えることを「倶会一処(くえいっしょ)」と申します。
極楽浄土への往生を目指して、お念仏を称えていたら、
必ず愛する人との再会は叶います。
釈尊がちゃんと『阿弥陀経』で説いて
くださっているのですから、間違いありません。
「所求・所帰・去行」の項より
「倶会一処」
https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_21.html
「回向」
https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_22.html
「一蓮托生」
https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_23.html